境界をなぞる

境界こそが僕の領域

mental sketch modified

 
 
 

宮沢賢治春と修羅の最後

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます

は、デカルト方法序説でも読んで着想したのかなぁとか思ったりする。

 昨日、フォロワーさんと、「なんで生きるのか」についてお話をしました。僕自身本気で返事をしたつもりなんですけど、twitterだと文字数とか限られるし、関係ない人のTLも汚してしまうかもしれないので、ここでもうちょっと書いてみたいなぁと思います。

生まれてきた罪 と 生き残る罰

人生におけるなぜという問いの内、以下の2つは似たようで実は違います。

  1. どうして私は生まれてきたの。
  2. どうして私は生きているの。

1.については、ここでは詳しくは述べませんが、僕は「私」が生まれてきた意味は無いと思っています。人間の生成消滅はただの物理現象ですので。あなたが親から望まれて生まれてきたのよ、なんてのはバカバカしいと思います。親が望んだのは「子供」であって「私」ではありません(注:これは、僕の親をディスる意味ではありません。念のため。)。

2.についてがなかなか答えが出ませんよね。どうして生き続けるのかという問いは、哲学的な答えを持ち出さなければ、解答すら出そうに無い気がします。でも、みんな生きているのは、何かしらの理由があってのことだと思います。

ここで、僕がリア充ならば、仲間のため、とか愛する人のため、とか世界平和のため、とか応えられるのですが、僕は基本的にダメ人間なので、そんなかっこいい答えは出てきません。その代わり僕は下記のように考えています。

 嫌われ者の原理

昔の僕は、とにかく人と接するのが嫌いで、周囲の人をバカにして、嫌ってばかりいました。自分が最も優秀で、だからまともな友達もいらないし、女の子付き合うなんてバカバカしいと思っていました。でも、臆病だから、生きている理由だけは確保したいわけなんですよね。

その頃の僕の「生きる理由」は「生きていること」そのものであったと思います。とにかく生まれたからには、生きれるだけ生きて、得られる権益は全て得て、それを妨害する人間は親だろうとなんだろうと絶対に許さない。自分のために面白おかしく楽に生きる、というのがそれです。生きる理由を聞かれた時に、3大欲求を満たすためとか言う人もいますけど、それをリアルにやっちゃったわけですね。

これは1つの解答だと今でも思います。だけどもすごい寂しいなって思います。なぜならば、その原理の内に、成長や繁栄など、建設的なものが何も含まれていないためです。

みんなと一緒の原理

そのようなことが祟り、ある共同体から半ば追い出しに近い形で他の場所に移ることになりました。その時はひどく落ち込みました。自分はなんて屑なんだろう、なんて空っぽの人間なのだろう、ある種の精神病じゃないかなどと悩んでいました。生きる意味も見失っていたように思います。

だけども、新しい場所でなんとか生き残ろうと必死に様々な仕事にも取り組みました。その結果、ボスや周囲にだんだんと認められるようになっていき、いろんな分野の上司や先輩や、後輩などにも恵まれるようになりました。自分でも、その過程で考え方や人に対する態度が大きく変化していったように思います。

人に対して、この人について行きたいとか、なんとかこの人の力になりたいとか、そう思えるようになった変化が大きいと思います。恥ずかしいのだけど、今更になって好きな人もできたんですけど、単純に彼女ほしーではなく、その人の考えを知りたい、僕のことも、(良いところも恥ずかしいところも全て)知ってもらいたい、と思ったのがきっかけでした(注:中学生以下の情緒ですいません・・・。)。

今では、「何のために生きているの」という問いに対しては、「色んな人と風景や目標を共有して、その人らとの関わりを通して自分の成長に繋げること」だと思うようになりました。本当は、この問いは、高校生の時に気づいていてしかるべきだと思うんですが、僕はバカなのでここまでかかりました。

理想論かな?

昔の僕にこのブログを見せても鼻で笑うかもしれません。病んでいる人に対してこのブログは何の意味も無いという人もいるかもしれません。でも、僕は、人生に壊滅的な失敗をした人とかではなく、日々の生活に埋没した意味を見つけ出せない人と共有したいなぁと思っています。人生っていつ転機が訪れて、パラダイムが変化するかわかりません。その時まで、なんとか元気に生きていってほしいなぁと思います。